「職場巡視?ああ、産業医の先生が定期的に回って、報告書を上げてくれるやつね」――多くの企業で、そんな認識に留まっていないでしょうか。しかし、ただ現場を眺めて書類を作成するだけの職場巡視では、その真価を発揮できません。職場巡視は、従業員の健康を守り、より働きやすい環境を実現するための“職場改善の起点”となる、非常に重要なツールなのです。
本コラムでは、産業医との連携を深め、職場巡視を形骸化させずに「意味のある活動」へと転換するためのポイントを解説します。
はじめに:「職場巡視」が形骸化していませんか?
毎月、あるいは四半期に一度行われる職場巡視。産業医が現場を回り、安全衛生に関する状況を確認する――。労働安全衛生規則で定められたこの活動は、多くの企業で実施されています。しかし、その実態はどうでしょうか。「とりあえず回って報告書を出す」という、いわば“義務の消化”になっていませんか?
本来、職場巡視は、職場の潜在的なリスクを発見し、具体的な改善策へと繋げるための絶好の機会です。産業医の専門的な視点と、現場の声を組み合わせることで、書類上では見えてこない課題が明らかになることも少なくありません。
形骸化した巡視から脱却し、産業医と企業が一体となって職場環境の改善に取り組む。その第一歩として、職場巡視の意義を再確認しましょう。
巡視で見るべきポイント:物理環境と心理的安全性の両面から
では、具体的に産業医は巡視でどのような点を見ているのでしょうか。大きく分けて「物理的な環境」と「心理的な環境」の2つの側面からチェックを行います。
✅ 物理的環境チェックの例
- 照明の明るさ:暗すぎたり明るすぎたりしないか、作業内容に適した照度が確保されているか。
- 空調・換気:温度や湿度は快適か、十分な換気が行われているか。
- 騒音・におい:業務に支障をきたすような騒音や不快なにおいはないか。
- 動線・作業スペース:作業しやすい動線が確保されているか、十分な作業スペースがあるか。
- デスク・椅子の高さ、モニターの位置など(VDT作業環境):長時間作業による身体的負担を軽減する工夫がされているか、正しい姿勢で作業できるか。
これらの物理的な要因は、従業員の健康状態や作業効率に直接影響を与えます。
✅ 心理的環境のチェック視点
- 職場の雰囲気:従業員同士のコミュニケーションは円滑か、活気があるか。それとも、無言で黙々と作業する重苦しい雰囲気ではないか。
- 従業員の表情や様子:疲弊しているように見える従業員はいないか、雑談や笑顔はあるか。
- ヒヤリ・ハットの共有体制:事故には至らなかったものの「ヒヤリとした」「ハッとした」経験を気軽に報告し、共有できる文化があるか。
心理的な安全性は、メンタルヘルスの維持だけでなく、生産性や創造性にも関わる重要な要素です。
巡視の効果を最大化するには?事前・事後の準備がカギ!
職場巡視をより実りあるものにするためには、巡視当日だけでなく、その前後の準備と対応が非常に重要です。
✅ 巡視前の情報共有
- 目的の共有:人事担当者、衛生委員会のメンバー、そして巡視対象となる部署の責任者と産業医が、今回の巡視で何を確認し、どのような状態を目指すのか、事前に目的をすり合わせます。
- 重点項目の確認:最近の健康相談の傾向、ストレスチェックの結果、過去の労災事例などを踏まえ、特に注意して見るべきポイントを明確にしておきます。
✅ 巡視中の対応
- 実際の作業の観察とヒアリング:机上の空論ではなく、従業員が実際にどのように作業しているのかを観察します。また、現場の従業員から直接話を聞くことで、日頃感じている不便や問題点を吸い上げます。
- 産業医からのフィードバック:作業手順の無理や無駄、配置の問題点など、産業医の専門的知見から気づいたことをその場でフィードバックし、改善のヒントを提示します。
✅ 巡視後の記録と提案
- 議事録への明記と改善提案:巡視結果やヒアリング内容を議事録に具体的に記録し、それに基づいた改善提案と、誰がいつまでに何を行うのかという実行スケジュールを整理します。
- 改善状況の確認体制:次回の巡視で、前回の指摘事項がどの程度改善されたかを確認する仕組みを作り、継続的な改善サイクルを確立します。
巡視から広げる“職場全体への健康指導”とは
職場巡視で見つかった課題は、その場限りの対応で終わらせるのではなく、職場全体の健康リテラシー向上に繋げることができます。
- 予防的な健康指導の企画:例えば、VDT作業者の多い部署で眼精疲労や肩こりの声が多ければ「正しいVDT作業の姿勢セミナー」を、重量物を扱う部署で腰痛の懸念があれば「腰痛予防講話」を企画するなど、巡視結果に基づいた具体的な健康指導を実施します。夏季には「熱中症対策講話」なども有効でしょう。
- 衛生委員会でのフィードバックと全社周知:巡視結果や改善策、健康指導の案内などを衛生委員会で報告・議論し、社内イントラネットや掲示板などを活用して全従業員に周知することで、会社全体の健康意識を高めます。
このように、「巡視 → 課題発見 → 改善提案 → 健康指導・対策実行 → 効果検証・振り返り」というPDCAサイクルを回していくことが、職場環境の継続的な改善に不可欠です。
まとめ:職場巡視を“企業文化”に変えるために
職場巡視は、単なる「報告義務」ではありません。従業員と経営層、そして産業医が、より良い職場環境を目指して対話する「コミュニケーションの機会」と捉え直しましょう。
産業医もまた、「リスクを発見する人」というだけでなく、企業と共に課題解決に向けて伴走する「改善のパートナー」です。小さなことでも、現場の声に耳を傾け、改善を積み重ねていく。その地道な取り組みが、従業員のエンゲージメント向上、健康増進、そして企業の持続的な成長と信頼に繋がるのです。
今回の記事を参考に、ぜひ貴社の職場巡視を「意味のある活動」へと進化させてください。
本記事をお読みいただき、ありがとうございます。
ご意見やご質問、さらに産業医の業務に関するご相談がありましたら、どうぞお気軽にお問い合わせください。皆さまからのご連絡を心よりお待ちしております。
産業医 / 健康相談エキスパートアドバイザー 松田悠司