カスタマーハラスメント対策:従業員を守る企業の義務

カスタマーハラスメント対策:従業員を守る企業の義務

はじめに

近年、「カスタマーハラスメント(以下、カスハラ)」という言葉を耳にする機会が増えてきました。過度な要求や執拗なクレーム、威圧的な言動など、顧客や取引先からの不当な対応により、従業員が心身に深刻なダメージを受けるケースは少なくありません。厚生労働省も2022年に指針を公表し、企業に対してカスハラ防止の取り組みを求めています。従来は「接客業では仕方がない」と片付けられてきたことも、今や労働安全衛生やメンタルヘルス対策の観点から、企業が対応すべき重要な課題と位置づけられるようになりました。

実際に、カスハラを受け続けた従業員が不眠や胃腸障害などの身体症状を訴えたり、精神的な不調から長期休職や退職に追い込まれることもあります。これは個人の問題にとどまらず、組織全体の人材定着や生産性にも大きく影響します。人事担当者にとって、カスハラ対策は「従業員を守る」ための必須の取り組みであり、企業の信頼やブランド価値を守る意味でも欠かせません。本コラムでは、産業医の視点から、カスハラがもたらす影響と、企業が実務で取り組むべき対策について解説していきます


カスタマーハラスメントとは何か

カスタマーハラスメント(以下、カスハラ)とは、顧客や取引先が正当な苦情や要望を超えて、従業員に対して不当な言動を繰り返す行為を指します。厚生労働省は「顧客等からの著しい迷惑行為」と定義し、パワーハラスメントやセクシュアルハラスメントと並び、企業が防止に取り組むべき重要なハラスメント類型の一つと位置づけています。

典型的なカスハラには、次のようなものがあります。例えば、コールセンターでの度を越した長時間のクレーム電話、店舗での大声による暴言や恫喝、医療現場での過剰な要求や無理な診療依頼などです。一見「顧客サービス」として受け入れざるを得ないように思える場面もありますが、度重なる理不尽な要求は従業員の心身を確実に蝕みます。

パワハラやセクハラと大きく異なるのは、行為者が企業の内部ではなく外部に存在する点です。社内であれば上司や同僚を対象とした教育や指導が可能ですが、カスハラは「顧客対応」という業務の枠組みの中で発生するため、従業員が一人で抱え込みやすく、発覚が遅れがちです。また、「お客様は神様」という古い価値観が根強く残る業界では、被害を受けた従業員が声を上げづらい現状もあります。

こうした背景から、カスハラは単なるサービス対応の問題ではなく、労働環境の安全を守る上で企業が主体的に取り組むべき課題とされています。人事担当者に求められるのは、まず「何がカスハラに当たるのか」を正しく理解することです。従業員を守る視点に立った明確な線引きと対応ルールを整えることが、次のステップである実効性ある対策の第一歩となります。


カスハラが従業員の心身に与える影響

カスタマーハラスメントの深刻さは、従業員が受ける心理的・身体的ダメージの大きさにあります。表面的には「少し嫌な思いをした」で済むように見えても、実際には心身に長期的な影響を残すケースが少なくありません。

まず心理的側面では、繰り返される暴言や過剰な要求によって強いストレスが蓄積し、不安や抑うつの症状が出やすくなります。職場で顧客対応の場面が近づくだけで動悸や発汗が起きる「予期不安」を訴える従業員もいます。結果として、仕事への意欲を失い、欠勤や休職、さらには退職につながるケースも少なくありません。

身体的な症状も軽視できません。長引くストレスは自律神経のバランスを崩し、不眠や胃腸障害、頭痛、動悸など多様な症状を引き起こします。産業医面談の現場では「夜眠れず、翌朝起きられない」「食欲が落ち、体重が減った」といった訴えが繰り返し聞かれます。これらの症状が放置されれば、うつ病や適応障害といった診断に至るリスクが高まります。

さらに、カスハラがもたらす影響は個人の健康だけにとどまりません。メンタル不調者の増加は、業務効率の低下やチーム全体の士気低下にもつながります。カスハラの被害を目の当たりにした同僚も「自分も同じ目に遭うのでは」と不安を抱き、職場の安全感が損なわれていきます。

産業医として強調したいのは、こうした影響は「一人の従業員の問題」ではなく、組織の健全性を揺るがす重大なリスクだという点です。人事担当者は、カスハラによる不調のサインをいち早く把握し、必要に応じて産業医や専門家につなぐ体制を整えることが不可欠です。


企業に求められる法的責任とリスク

カスタマーハラスメントを放置することは、単に従業員の士気低下や離職を招くだけではありません。企業には労働契約法や労働安全衛生法に基づき「安全配慮義務」が課せられており、従業員が健康を損なわないよう適切な職場環境を整える責任があります。カスハラによって心身の不調をきたした場合、企業が対応を怠っていれば、その責任を問われる可能性が高まります。

実際に、長時間の過度なクレーム対応を強いられた結果、従業員が精神疾患を発症し労災認定に至った事例も報告されています。労災認定となれば、企業は社会的信用を損なうだけでなく、経済的な補償責任や訴訟リスクにも直面します。また裁判例の中には、顧客からの暴言や過度な要求を知りながら対策を講じなかった企業に対し、損害賠償責任が認められたケースもあります。

さらに、現代ではSNSや口コミサイトを通じて「従業員が顧客からのハラスメントで苦しんでいる」といった情報が拡散するリスクも見逃せません。カスハラ被害を軽視する企業姿勢は、社会的批判やブランド価値の低下につながり、優秀な人材の採用・定着にも悪影響を及ぼします。

産業医として強調したいのは、法的リスクは「万一の事故」ではなく、現実的に起こりうるリスクであるという点です。人事担当者は、法令や指針を正しく理解したうえで、社内体制の整備や従業員保護の取り組みを怠らないことが求められます。これは単なるコンプライアンス対応にとどまらず、企業の持続的成長を守るための投資でもあるのです。


実務で取り組むべきカスハラ対策

カスタマーハラスメント対策を実効性あるものにするには、現場任せにせず、企業全体で体系的に取り組むことが重要です。以下の4つの柱を中心に進めることが現実的で効果的です。

① 方針策定とルール化
まずは、カスハラを許さないという企業姿勢を明文化することが出発点です。就業規則や社内規程に「顧客等からの不当な言動への対応方針」を明記し、従業員が安心して声を上げられる環境を整える必要があります。厚労省の指針に沿った形で社内ポリシーを策定することが望ましいでしょう。

② 教育研修の実施
従業員には「どのような行為がカスハラに当たるのか」「遭遇した際にどのように対応すべきか」を具体的に学ぶ機会が必要です。特に管理職には、部下からの相談を適切に受け止めるスキルが求められます。ロールプレイを取り入れた研修は、実践的な力を身につけるうえで効果的です。

③ エスカレーション体制の整備
現場で従業員が一人で対応を抱え込まないために、上司や法務部門、さらには産業医につなぐ「報告・相談ルート」を明確化することが不可欠です。相談窓口を一本化するだけでなく、緊急度に応じて段階的に支援を得られる仕組みを設けることで、従業員の心理的安心感は格段に高まります。

④ 被害を受けた従業員へのケア
カスハラの被害を受けた従業員には、迅速なフォローが欠かせません。産業医面談や臨床心理士との連携、必要に応じた休養や配置転換など、柔軟な支援策を講じることで、心身のダメージを最小限に抑えられます。再発防止に向けて事後の振り返りを行い、社内の改善につなげることも重要です。

これらの対策は単独で行うのではなく、企業全体の仕組みとして組み合わせて実施することが鍵となります。従業員を守るための体制整備は、同時に企業の信頼性を高め、持続的な成長基盤を築くことにも直結するのです。


産業医が果たす役割

カスタマーハラスメント対策において、産業医は「従業員の健康を守る専門家」として重要な役割を担います。カスハラは一過性のトラブルではなく、従業員の心身に長期的な影響を与えかねないため、医療的な視点を組み込んだ対応が欠かせません。

まず、産業医は心理的負担の早期発見を担います。面談の場では、不眠や食欲不振、気分の落ち込みといった症状が浮き彫りになり、現場では「ただ疲れているだけ」と見過ごされがちなサインを医学的に評価することが可能です。

次に、健康リスクの評価と助言を行います。従業員の症状がどの程度業務に影響しているか、休養や配置転換が必要かどうかを判断するのは産業医の専門領域です。さらに、人事・労務部門に対しては、復職に向けた段階的調整や業務配慮の具体策を助言します。

また、産業医は人事部門との情報共有を通じて再発防止策を提言します。例えば「顧客対応部署にストレス反応が集中している」といった傾向を示すことで、教育研修や体制強化に活かせます。加えて、必要に応じて精神科や臨床心理士など外部専門家につなぐ役割も担い、社内で完結できない問題を適切に橋渡しします。

産業医は単なる医療相談窓口ではなく、企業全体の仕組みにカスハラ対策を組み込む「専門的パートナー」です。人事担当者が産業医と連携することで、従業員を守る体制は一層強化され、企業としての信頼性も高まります。


実践事例と効果

カスタマーハラスメント対策は、理論だけでなく実践に落とし込むことで初めて効果を発揮します。以下に一般化した事例を示します。

ある通信系コールセンターでは、長時間に及ぶ理不尽なクレーム対応が離職の要因になっていました。「通話は最大30分まで」といった明確なルールを設け、上司や法務部門にエスカレーションする仕組みを整えた結果、半年で離職率が15%低下しました。

小売企業では、スタッフ向けに「カスハラ対応マニュアル」を作成し、ロールプレイ形式の研修を実施しました。従業員は「対応方法が分かることで安心感が増した」と回答し、メンタル不調による休職者は前年より30%減少しました。

医療機関では、患者や家族からの過剰な要求が頻発していましたが、産業医が定期的にスタッフ面談を行い、不調の早期発見と業務調整を実施しました。その結果、長期休職に至るケースが減少し、職場の安心感が向上しました。

これらの事例は、カスハラ対策が従業員の健康を守るだけでなく、離職防止や業務効率向上といった経営的メリットをもたらすことを示しています。特に産業医を含めた多職種連携は、対策の実効性を高める鍵となります。


おわりに

カスタマーハラスメントは、従業員一人の問題にとどまらず、組織全体の健全性や企業価値に直結する重大な課題です。放置すれば従業員の健康被害や離職、生産性低下を招き、企業にとって大きな損失となります。逆に、明確な対応方針や研修、相談体制、産業医との連携を整備すれば、従業員の安心感や組織の信頼性は確実に向上します。

企業が「従業員を守る姿勢」を示すことは、採用力や顧客からの信頼にもつながり、結果として企業価値を高めます。カスハラ対策はコストではなく、将来への投資と位置づけるべきです。

まずは自社の体制を振り返り、従業員を守る仕組みが十分に整っているかを点検することが出発点です。そして必要に応じて、専門的知見を持つ産業医に相談し、実効性のある仕組みづくりを進めることをお勧めします。

私たちは、従業員の健康と企業の持続的成長を両立させるための支援を行っています。もし貴社でも

「カスハラ対策を強化したい」

「従業員のケアを万全にしたい」

とお考えであれば、ぜひ一度ご相談ください。

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産業医 / 健康相談エキスパートアドバイザー / 健康経営専門医  松田悠司

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