職場における熱中症:基本知識と予防策の徹底 ~令和7年対策強化を踏まえて~
近年、地球温暖化の影響もあり、夏の厳しい暑さは私たちの健康、特に労働環境において大きな脅威となっています。中でも「熱中症」は、屋外作業だけでなく、屋内作業においても発生する可能性があり、最悪の場合、命に関わる重大な労働災害につながりかねません。
職場での熱中症による労働災害は依然として多く発生しており、国も対策強化に乗り出しています。厚生労働省は労働安全衛生規則を改正し、令和7年(2025年)6月1日より、事業者に対する熱中症対策の義務を一層強化することを決定しました。 これまで以上に、科学的根拠に基づいた具体的な対策の実施が求められることになります。
本コラムでは、職場における熱中症のリスクを正しく理解し、その基本的な知識から具体的な予防策までを詳しく解説します。従業員一人ひとりが自身の健康を守るための対策はもちろんのこと、新たな法規制も踏まえた上で、企業全体として取り組むべき組織的な対策の重要性についても掘り下げていきます。安全で健康的な職場環境を維持するために、本稿が熱中症対策の一助となれば幸いです。
1. 熱中症とは何か?そのメカニズムと症状
1.1. 熱中症のメカニズム:体温調節機能の破綻
人間の体は、平常時、約36~37℃の範囲で体温を一定に保つための精巧な「体温調節機能」を持っています。暑い環境下では、主に以下の2つの方法で体温の上昇を防いでいます。
- 発汗: 汗をかき、その汗が蒸発する際の気化熱を利用して体表面から熱を奪い、体温を下げます。
- 皮膚血管の拡張: 皮膚近くの血管を広げることで、血液の流れを増やし、体内の熱を外気へ放散しやすくします。
しかし、高温多湿な環境下に長時間いたり、激しい運動や労働によって体内で大量の熱が発生したりすると、この体温調節機能のバランスが崩れてしまいます。
- 大量の発汗による脱水: 汗とともに体内の水分と塩分(ナトリウムなど)が失われます。水分が不足すると血液量が減少し、皮膚への血流も低下するため、熱放散の効率が悪くなります。また、塩分不足は筋肉のけいれん(熱けいれん)などを引き起こします。
- 体温調節中枢の機能低下: 高い体温が続くと、脳にある体温調節中枢そのものの働きが鈍くなり、発汗や皮膚血管の拡張といった指令がうまく出せなくなります。
このようにして体内に熱がこもり、体温が異常に上昇してしまう状態が「熱中症」です。
1.2. 熱中症の症状:重症度による分類
熱中症の症状は、その重症度によって大きく3段階に分類されます。初期の軽い症状を見逃さず、早期に対応することが重症化を防ぐ鍵となります。
I度(軽症):現場での応急処置で対応可能な段階
- めまい、立ちくらみ、筋肉痛、筋肉の硬直(こむら返り)、大量の発汗、気分不快
- 対応: 涼しい場所へ移動、衣服をゆるめ体を冷やす、水分・塩分補給(経口補水液など)。症状が改善しない場合は医療機関へ。
II度(中等症):医療機関への搬送が必要な段階
- 頭痛、吐き気、嘔吐、倦怠感、虚脱感、集中力・判断力の低下
- 対応: 軽症の処置に加え、速やかに医療機関を受診。自力で水分補給できない場合は救急車を要請。
III度(重症):入院加療・集中治療が必要な危険な段階
- 意識障害、けいれん、運動障害、高体温(40℃以上など)
- 対応: ためらわず救急車を要請。到着を待つ間も体を冷やす応急処置を継続。
2. 職場に潜む熱中症のリスク要因
職場環境や作業内容は、熱中症の発症リスクに大きく関わっています。令和7年の対策強化では、これらのリスク要因を客観的に評価し、対策を講じることがより一層求められます。
2.1. 作業環境
- 高温多湿: 特にWBGT値が高くなる環境。
- 閉鎖空間・換気不良: 熱や湿気がこもりやすい場所。
- 直射日光: 屋外、窓際など。
- 輻射熱: 炉、ボイラー、熱源の近く、地面からの照り返し。
- 通気性の悪い場所: 地下、タンク内など。
2.2. 作業内容
- 屋外作業: 建設、農業、運送、警備など。
- 屋内での力仕事: 製造、倉庫、調理場など、特に熱源付近。
- 保護具・防護服の着用: 熱放散を妨げる服装。
- 長時間の連続作業: 疲労蓄積。
- 水分補給がしにくい作業:
2.3. 休憩・休息の取り方
- 不適切な休憩時間・頻度: 作業強度やWBGT値に見合わない休憩。
- 休憩場所の環境: 高温な場所での休憩。
- 作業再開時の体調: 不調のまま作業再開。
2.4. 個人の要因・健康状態
- 持病: 糖尿病、高血圧、心疾患など。
- 体調不良: 風邪、下痢、二日酔い、睡眠不足。
- 暑熱順化の不足: 暑さに慣れていない時期。
- 年齢: 高齢者、若年者(過信)。
- 肥満: 熱がこもりやすい。
- 過去の罹患歴: 再発リスク。
3. 自分でできる!基本的な熱中症予防策
熱中症は、個人の意識と行動によって、その多くを予防することが可能です。誰にでも実践できる基本的な予防策を徹底しましょう。
3.1. こまめな水分・塩分補給
- タイミング: 喉が渇く前に、定期的に。作業前後、休憩中、作業中(15~20分ごと)、就寝前、起床時。
- 量: コップ1杯程度をこまめに。1日1.2リットル以上を目安に、発汗量に応じて増やす。
- 何を飲むか: 基本は水・麦茶。大量発汗時はスポーツドリンク、経口補水液。塩飴なども活用(水分補給とセットで)。
3.2. 適切な服装と装備
- 素材: 吸湿性・速乾性・通気性の高いもの。
- 色: 屋外は白や淡い色。
- デザイン: ゆったりしたもの。
- インナー: 吸汗速乾性のもの。
- 帽子・ヘルメット: 直射日光を避ける。ヘルメット内には冷却材なども活用。
- 空調服®・ファン付き作業服: 効果的な冷却。
- 冷却グッズ: ネッククーラー、冷却ベスト、冷却タオルなど。
3.3. 効果的な休憩の取り方
- タイミングと頻度: 作業強度やWBGT値に応じて定期的に。時間を決めて取る。
- 休憩場所: 涼しい場所(冷房、日陰、風通しの良い場所)。
- 休憩中の過ごし方: 作業着を脱ぐ、水分・塩分補給、体を冷やす。
- 作業再開前の確認: 体調回復を確認。不調時は管理者に報告。
4. 職場全体で取り組むべき熱中症対策:令和7年改正のポイント
個人の努力に加え、企業・事業場が主体となり、組織全体で対策に取り組むことが不可欠です。特に令和7年6月1日施行の改正労働安全衛生規則では、事業者の責任がより明確化され、以下の点について具体的な措置が義務付けられることになります。
4.1. 【強化ポイント①】WBGT値の測定と基準値に応じた措置義務
- WBGT値の測定義務化: これまで推奨にとどまっていたWBGT値の測定が、高温多湿な作業場所(屋内・屋外問わず)において原則義務化されます。事業者はWBGT計を適切に設置・管理し、測定値を作業場所に掲示するなどして労働者に周知する必要があります。
- 基準値に基づく措置の義務化: 国が示すWBGT基準値(作業強度に応じて設定)を超えた場合に、熱中症予防のために必要な措置(作業時間の短縮、休憩時間の確保・頻度増加、連続作業時間の上限設定、作業中止、作業負荷の軽減など)を講じることが法的に義務付けられます。 どのような場合にどのような措置を講じるか、具体的な計画をあらかじめ策定し、労働者に周知徹底することが不可欠です。
4.2. 【強化ポイント②】作業環境・作業管理の具体的措置
- 作業環境の継続的な改善: WBGT値の低減措置として、冷房設備の設置・点検、断熱・遮熱対策、換気の実施、ミストシャワー・スポットクーラーの設置、休憩場所の整備(冷房、椅子、水分補給設備)などを計画的に実施することが求められます。
- 作業計画の見直し: WBGT値の予測や実測値に基づき、暑い時間帯の作業回避、作業ローテーションの導入、作業負荷の軽減などを盛り込んだ作業計画を策定・実施します。
- 休憩の確保: WBGT基準値に応じた休憩時間・頻度を確保し、涼しい休憩場所を提供することが義務付けられます。休憩時間中は作業着を脱げるようにするなどの配慮も重要です。
4.3. 【強化ポイント③】労働衛生教育の義務化と内容の具体化
- 熱中症予防に関する労働衛生教育の義務化: 全ての労働者に対し、熱中症の症状、予防方法、WBGT値の意味と対応、緊急時の応急処置などについて、定期的に教育を実施することが義務付けられます。
- 教育内容の具体化: 教育においては、自覚症状がない場合でも熱中症のリスクがあること、WBGT基準値に応じた具体的な行動(休憩の取り方、水分補給のタイミングなど)、体調不良時の報告義務、救急措置の手順などを、より実践的に伝える必要があります。雇入れ時や作業内容変更時の教育も徹底します。
4.4. 【強化ポイント④】健康管理の徹底と管理体制の明確化
- 作業開始前の健康確認の徹底: 管理監督者による日常的な健康確認(顔色、応答など)に加え、労働者自身によるセルフチェックも促し、体調不良者には作業転換や休養などの措置を確実に講じます。持病のある労働者への配慮も継続して重要です。
- 熱中症発生時の対応:
- 症状確認と重症度判断: 熱中症が疑われる労働者が発生した場合、管理監督者等は速やかに症状を確認し、重症度を判断する手順を定めておく必要があります。
- 応急処置の実施: 症状に応じた適切な応急処置(涼しい場所への移動、冷却、水分・塩分補給)を実施できる体制を整えます。
- 医療機関への搬送: 救急搬送が必要な症状(意識障害、けいれん等)の判断基準を明確にし、ためらわずに救急車を要請する体制を確立します。
- 管理体制の整備:
- 担当者の選任(努力義務等): 事業場の規模やリスクに応じて、熱中症対策の計画策定、実施状況の確認、労働者への指導などを行う担当者(例:熱中症対策管理者)を選任することが望まれます。
- 安全衛生委員会等の活用: 安全衛生委員会等で熱中症対策について調査審議し、労使が協力して対策を進める体制を構築します。
4.5. 緊急時の対応体制の整備(従来からの重要事項)
- 応急処置の周知徹底と訓練: 全従業員が応急処置を理解し、実践できるよう訓練を実施します。
- 緊急連絡体制の確立: 報告ルート、連絡先、救急車手配担当などを明確にした連絡網を作成・周知します。
- 応急処置用物品の準備: 経口補水液、体温計、冷却材、毛布などを常備し、すぐに使える状態にしておきます。
5. まとめ:法改正を機に、より実効性のある対策へ
職場における熱中症は、個人の健康を脅かすだけでなく、企業の生産性や安全管理体制にも影響を与える深刻な問題です。令和7年6月1日からの改正労働安全衛生規則の施行により、熱中症対策は努力目標から、より具体的な実施義務へと変わります。 これは、国として熱中症による労働災害を撲滅するという強い意志の表れであり、企業にとっては、これまで以上に計画的かつ実効性のある対策を講じる責任があることを意味します。
WBGT値の測定とそれに基づく措置の実施、労働衛生教育の義務化、管理体制の整備など、求められる対策は多岐にわたりますが、これらは全て働く人々の命と健康を守るために不可欠なものです。
熱中症対策は、単に法規制に対応するためだけに行うものではありません。従業員一人ひとりが安心して働ける環境を整備することは、企業の持続的な発展にとっても重要な基盤となります。経営者、管理者、そして従業員が一丸となり、最新の知見と法規制を踏まえ、「熱中症ゼロ」の安全で快適な職場環境を目指し、継続的に取り組みを進めていきましょう。
産業医 / 健康経営エキスパートアドバイザー 松田悠司